【実力伯仲】日本ボクシング名勝負数え歌 その2【3戦】

こんにちは。
秘書猫みーでございます!

私どものお仕事にも関係のある九州が史上最も遅く梅雨入り宣言されましたよね。

梅雨独特のジメジメ感によって何かと気分が上がらない日が多くなる今日この頃‥。

そんな湿った空気を吹っ飛ばす、熱い戦をご覧頂きたいと思います!

今回は、私がリスペクトするスポーツ「ボクシング」から、日本ボクシング史上、名勝負と言われるバトルをご覧頂ければと思います!

 

日本ボクシング名勝負数え歌【3戦】

3位:コウジ有沢(草加有沢) vs 畑山隆則(横浜光) 

日本Jr.ライト級タイトルマッチ1998年3月29日

崔龍洙の持つ王座に世界初挑戦し引き分けた畑山‥。

「戦うモチベーションを上げるには強い相手と」

と本人の強い希望があり実現したのが、当時、日本スーパーフェザー級チャンピオンで5度の防衛に成功していたコウジ有沢でした。

日本タイトルマッチでは異例のテレビ中継、そして日本タイトルでは破格のファイトマネー500万円が両者に渡されるなど異例のマッチメイクで話題を呼びました。

この試合は序盤から接近戦の打ち合いに。

出入りの激しいボクシングでコウジ有沢を翻弄する畑山は次第に優勢に展開し始めます。

勢いに乗る畑山は左フックを軸に終盤に連打を浴びせ、対するコウジも一歩も引かず真っ向からの激しい打撃戦にファンも興奮状態に。

そして運命の9回‥。

やや疲れが出始めたコウジはボディを中心に反撃。

しかしラウンド中盤、畑山からの容赦なしのボディブローをまともに受け、コウジは腰を落として体はくの字に折れてしまう状態に!

その後、畑山の左右の追撃打を喰らってついにダウン。

カウント8で何とかコウジは立ち上がるものの、勝負所と踏んだ畑山はコウジをニュートラルコーナーに追めてサンドバックを殴るが如くパンチの集中砲火を浴びせ続けます。

コウジはクリンチして局面を打開しようと試みますが、畑山は振りほどいて再びパンチを雨あられの如く浴びせます。

そして、主審が2人の間を割って入り、試合終了を宣告。

場内は日本タイトルマッチとは思えないほどの熱狂に包まれました。

この試合は今なお史上最高レベルの『究極の日本タイトルマッチ』と語り草になっているほど。

ちなみに余談ですが、コウジ有沢は現在、池袋の居酒屋『暁』にてチーフ・調理担当に。特に「コウジの焼く焼き鳥が美味しい」と好評を得ているんだとか。

居酒屋 暁 (池袋/居酒屋)
★★★☆☆3.26 ■【池袋駅3分】冬の鍋祭り開催中!生ビール330円!こだわりの牛串も人気です! ■予算(夜):¥2,000~¥2,999

 

2位:大場政夫(帝拳)vs チャチャイ・チオノイ (タイ)

WBA世界フライ級タイトルマッチ1973年1月2日

コアなボクシングファンに『日本史上最強のボクサーは誰か』という問いに、必ず名前が挙がるのが大場政夫。

この当時、WBA世界フライ級のベルトを4度防衛しており、まさに全盛期と言っても過言ではないくらいの状態にありました。

そして1973年3月、5度目の防衛戦の相手になったのがタイのチャチャイ・チオノイ 。

この男、ムエタイでも実績があり、その当時まで2度、ボクシングの世界チャンピオンを奪取しており、3度目の王座を狙ってWBA王者である大場政夫に挑戦しました。

そしてこの試合は、後に語り継がれるほどの伝説の試合となります。

初回にチャチャイの見えないアングルからのロングフックをまともに受けてダウンを喫します。

大場は大きくふらつき、しかも足がガクガクしてTKO寸前の状態に。

このとき大場は既に右足首を捻挫していたんだそうです。

そんな危ない場面をテクニックで切る抜ける大場。

徐々にピンチを脱出すると、インターバルで足を冷やしつつ、足を引きずりながらもオフェンシブにファイトし、中盤以降はチャチャイが劣勢に。

そして運命の12回。

大場は逆にチャチャイからダウンを奪います。

1度は立ち上がるも、勝負所と見た大場は一気に詰めてパンチをまとめて再度ダウンを奪います。

フラフラになりながらなんとかカウントを免れるチャチャイ。

しかし、再度立ち上がったところで大場の強烈なパンチによりコーナーに吹っ飛ばされ、12回KOで5度目の防衛に成功しました。

そして大場は、この試合の23日後1973年1月25日、交通事故で死去。

現役世界チャンピオン、且つ全盛期のままこの世を去りました。

故に大場は「永遠のチャンプ」と皆に称されて、コアなファンの心に今でも焼き付いています。

ちなみにチャチャイは肺炎で75歳でこの世を去りました。

今頃、大場とチャチャイはあっちであの時のボクシング談義を酒でも飲みながら語っているのではないでしょうか。

 

1位:シリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ) vs 辰吉丈一郎(帝拳)

WBC世界バンタム級タイトルマッチ 1997年11月22日

強い、弱い‥、そんな議論を吹っ飛ばすくらいのカリスマ性を持ったボクサーと言えば

辰吉丈一郎。

その波乱万丈のボクシング人生に感銘を受けてプロボクサーを目指したと言わしめるほどのボクサーでした。

そんな辰吉が、薬師寺との統一戦に破れ、強さに翳りが見え始めた晩年、世界戦でも3連敗し、恐らくラストチャンスと言われていた世界戦で伝説的な試合が生まれます。

相手はシリモンコンナコントンパークビュー。

無敗のままチャンピオンになり20歳という若さと強さから、ものすごく勢いのある状態でした。

若く勢いのある王者と、後がない挑戦者だった辰吉。

しかし劣勢が叫ばれる中、5ラウンド目でいきなりシリモンコンからダウンを奪います。

強烈なボディブローを何発もたたき込む辰吉、その度にぐらつくチャンピオン。

そして、ボディブローで意識を下にしてからのストレートがチャンピオンの顔面にクリーンヒットしなんと2度目のダウン!

試合中盤まで辰吉が王者を圧倒し、皆が「奇跡」を期待しつつあった6ラウンド目。チャンピオンも黙っていませんでした。

徐々に辰吉の顔面にチャンピオンのパンチがヒットしていき、眼が明らかに腫れる状態にまでなってしまい、しまいには足に力が入らずよろける辰吉。

直近の世界戦でもまるでスイッチの切れた状態のようにマットに崩れ落ちる辰吉のネガティブなイメージが大きくなりつつありました。

しかし、辰吉は踏みとどまります。

これは今の時代でいうゾーンに入ったということでしか説明できないような現象が出てきます。

そして運命の7ラウンド。

最初にダウンを奪ったボディーが再度チャンピオンに突き刺さります。

そして、シリモンコン、2度目のダウン。

立ち上がるシリモンコンに全盛期を彷彿とさせるノーガードスタイルでハイプレスをかけて一気にフィニッシュに向けてパンチをまとめます。

まともにパンチを食らった王者がロープ際でよろめいたところで、レフェリーが試合をストップし最後はTKOで世界チャンピオンに返り咲きました。

その後、辰吉はウィラポン・ナコンルアンプロモーションに破れ王座陥落。今なお現役を名乗りトレーニングを続けています。

対するシリモンコンは覚せい剤所持などで問題を起こしつつ、最後はK-1などに出て活躍しました。

 

まとめ

如何でしたでしょうか?

梅雨のジメジメ感は吹っ飛びましたか?

今回はあえて実力が拮抗した者同士の試合をご覧頂きましたが、試合の流れが右往左往することで、私たちの記憶に刻まれるような熱い試合をチョイスしました。

次回も皆さんをアッと言わせるような面白い企画を準備していますので、乞うご期待という事で!

以上、秘書猫みーがお伝えさせて頂きました!

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