【実力伯仲】日本ボクシング名勝負数え歌【3戦】

【実力伯仲】日本ボクシング名勝負数え歌【3戦】

こんにちは!
秘書猫みーでございます。

6月に入り、ちょっとずつ私ネコたちには辛い”梅雨シーズン”が間もなく開幕しつつある今日この頃。

そんなジメついて陽気を吹っ飛ばすような大きな出来事がありました。

はい!そうです、WBSS(ワールドボクシングスーパーシリーズ)の準決勝。

スペイン語圏では「エル・モンストロ(怪物)」として、その名を全世界に知らしめている井上尚弥がまたも衝撃的な勝ち方で決勝にコマを進めましたのは記憶に新しいと思います。

そんな快勝劇に「これだからボクシングはたまらん」という感想をお持ちの方が多くいらっしゃるかと思うんです。

しかし、圧倒的なパフォーマンスで相手を蹴散らすボクシングもさることながら、血まみれになりながらも拮抗した試合で、ボクシングファンのハートを揺さぶった名勝負があることをお忘れでは無いでしょうか。

今回は、わたくしみーが選ぶ、心を揺さぶられた日本ボクシング名勝負数え歌【3戦】を披露しちゃいます!

 

名勝負数え歌【3戦】

3位:畑山隆則 vs 坂本博之

WBA世界ライト級タイトルマッチ  2000年10月11日

この名勝負を目の当たりにして「ボクサーになりたい!」と思ったボクサーが何人いたことか‥。

事前の予想ではスピード&テクニックの畑山、そして圧倒的なパワーと一撃で相手を失神させるほどのパワーの持ち主である坂本。

ゴングがなると、坂本がパンチを振るっても畑山は下がらず、それを受けて立つファイトスタイルに戦前の予想を覆す展開に。

本来の畑山のスタイルはバックステップを取りながら、ディフェンスを意識しつつスピード感あるパンチを出すはずが、逆に踏み込み強烈な右ストレートを坂本の顔面に叩き込んでいきました。

逆に坂本は打たれても打ち返すという、より攻撃的なボクシングで果敢に挑んでいきました。

しかし、徐々に畑山のパンチによるダメージが色濃くなり、ラウンド終盤にかけて坂本の振るうパンチに力が入らない状態に。

そして、9回にはラウンド終了後、目の焦点が合わず朦朧としている坂本の胸に畑山は軽く拳を当てました。

まるで、「大丈夫か」と語りかけるように。。

そして迎えた10回。

ラウンド早々に放った畑山の左右のワンツーを浴びた坂本は、ゆったりとよろめき、吸い込まれるように腰からリングに沈みます。

恐らく、わたくしみーが様々なダウンシーンを見た中で、こんなにゆっくりとスローモーションの如くダウンするシーンは他に類を見ません。

俺は絶対に倒れないと語っていた坂本博之が、マットに沈んだ瞬間でした。

今見ても心が熱くなる、伝説の日本人対決でした。

 

2位:マーク堀越 vs 高橋ナオト

日本Jr.フェザー級タイトルマッチ 1989年1月22日

今のようにWBC、WBA、WBO、IBFなどの主要4団体が日本で認定されていなかった昭和晩期から平成にかけての時代。

当時の日本ボクシング界は世界王者のいない低迷期にありました。

後に世界チャンピオンとなる現大橋ジム会長である大橋秀行がWBAミニマム級タイトルを奪取するまで、日本人ボクサーは世界戦21連敗という、今では信じられないような屈辱の時期を過ごすことになります。

そんな重苦しい時代にボクシングのメッカ後楽園ホールで、伝説的な名勝負のゴングが鳴り響きます。

そのドラマの主役が「逆転の貴公子」高橋ナオト。

近い将来、世界王者なると期待されつつ、日本チャンピオンまで駆け上がったものの防衛戦に失敗し、低迷期に突入。

「奴(ナオト)は終わった‥」

と考える業界関係者、およびファンからそのような声も囁かれるなか、その後、強靭な精神力で復調し連勝します。

そんな中で向えたのがjrフェザー級(現スーパーバンタム級)チャンピオンのマーク堀越戦。

このマーク堀越、ピーク時の高橋ナオトのように世界も狙える逸材と言われ、この試合に勝てば世界タイトル挑戦も確実視されてました。

そして、後世に語り継がれる、伝説のドラマは序盤から大きく動き出します。

マークの多彩なテクニックの前に被弾し続け、グロッキー状態となった高橋。

しかし、天性のカウンターパンチと称される、右ストレートがさく裂し逆転のダウンを2度奪い形勢逆転。

これで勝負あったと思われる中、夢にまでみた世界戦を目前にしたマークも堪えに堪え、今度は7Rに逆襲に転じ、高橋を追い詰める。

そして、マークは8ラウンドに左フックで決定的とも言えるダウンを奪い、誰もが勝負あったと思ったと確信しました。

足に力が入らない状態で朦朧となりながらカウントギリギリで立ちあがった高橋ナオト。

誰が見ても高橋がマットに沈むのは時間の問題かと思われました。

しかし、高橋は何とか9Rに持ち込むと、今度は衝撃的な右カウンターでマークから逆転のダウンを奪取!

必死の表情で立ちあがったマーク、しかし再び高橋が強烈な右を顔面に打ち込み、ドラマはフィナーレを迎えました。

この劇的な展開に、後楽園ホールはボクシング史上最大級と言われる興奮に包まれました。

 

1位:薬師寺保栄 vs 辰吉丈一郎

WBC世界バンタム級タイトルマッチ1994年12月4日

辰吉、そして薬師寺という、平成初期を代表するカリスマボクサーの「世紀の一戦」が正式に決まると、一瞬にして社会現象に。

今の時代、格闘技でこれほどの熱量を超えることは皆無と言っても過言ではありません。

また、「史上初の日本人同士による王座統一戦」をはじめ、ファイトマネー、そして王者同士によるトラッシュトークなど、試合開始前から異様な雰囲気だったのを覚えている方も多いんではないでしょうか。

そして迎えた大阪城ホールでの決戦の日。

伝説の一戦は、序盤から壮絶な打ち合いが続くきます。

いつも通りジャブを付きながら相手の様子を見るスタイルの薬師寺に対して、辰吉はスピードを生かした応戦。

しかし辰吉は網膜剥離を発症した左眼をかばうことなく、ノーガードで応戦するという展開に。

薬師寺、辰吉両者ともに目の上をカットし中盤以降は今の時代には考えられないような流血戦が繰り広げられ、特に辰吉は流血の影響などにより左眼はほぼ見えていない状態でラウンド終盤を迎えていました。

それでも、パンチを浴びながらも突進する辰吉、そして薬師寺。

両者は壮絶な殴り合いを見せた。決着は最終12ラウンドまでもつれた末、判定に。

最後は試合は僅差の結果で薬師寺が勝利し、世紀の一戦は幕を閉じました。

試合後、薬師寺を担ぎ上げ勝者を讃えた辰吉の姿は、今もファンの間では語り草となっている。

 

まとめ

如何でしたでしょうか。

今の時代は、アマチュアからエリート街道を進んで綺麗なボクシングを多くなってきた感がありますが、叩き上げで、それでもボクシングの情熱を燃やし続けてきたボクサーもいるんです!

今回ご紹介させて頂いた名勝負で、皆さんのボクシング愛が高まることを期待しつつ、止まらなくなりそうな筆を中断させて頂きます!

それではまたボクシングネタでお会いしましょう!

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