【5月は鯉の季節】秘書猫みーが選ぶ好きな広島カープ選手5選

【5月は鯉の季節】秘書猫みーが選ぶ好きな広島カープ選手5選

鯉のぼり

こんにちは。
既に子供から大人へ変貌を遂げた、秘書猫みーでございます。

いきなり凄い切り口から入ってみたんですけど、ゴールデンウィーク中の旗日で「こどもの日」も間近に迫っているので、そのような表現をしてみました(笑)

そんな訳で、鯉のぼりを掲げてるご家庭も多い今日この頃。

鯉のぼりのシーズンと言えば、おのずと話題に上がるのがプロ野球の広島カープですよね!セ・リーグを二連覇して、且つ今シーズンも上々の滑り出しを見せる中、悲しいニュースもありました。

 

そう、あの伝説の鉄人「衣笠祥雄」さんが、天国へ旅立ちました・・。

 

プロ野球記録の2215試合連続出場を記録し「鉄人」と親しまれた同氏。

そんな国民栄誉賞を受賞するよな凄い選手だった側面で、非常に人間らしい愛くるしい笑顔が印象的でした。

その他、名だたるレジェンドが目白押しのカープなんですが、成績も当然のことながらなんとなく人間臭いチームの広島カープ。

今回は、わたしくみーが独断と偏見で選ぶ、好きだった広島カープの選手5選を発表したいと思います!

 

みーが選ぶ好きな広島カープの選手5選

5位:江夏豊

通算成績: 206勝158敗 193セーブ 防御率:2.49 奪三振:2987

数々の球団を渡り歩き、各球団で伝説を残したが、特に有名な『江夏の21球』はカープ時代の物。何といってもハイライトは投球動作に入っている最中に、相手バッターがバントの構えを見せた瞬間にボールの握りを変えてコースを外したのはもはや伝説。

 

4位:前田智徳

通算成績 打率.302 得点929 安打2119 本塁打295本

孤高の天才と誉れ高い前田智徳。あの現代野球を代表するイチローですら「前田さんのバッティングフォームが理想」と言わしめるほど。

アキレス腱断裂が無かったらどうなっていたことか・・・といつまでも語られ続けるであろう稀代の打撃職人。幾多の名選手から「天才」と称される圧巻の打撃センスから、歴代5位タイとなるシーズン打率3割以上11回を記録しました。

寡黙なイメージが強かったんですが、ここ最近は解説者として活躍し、更にお茶目な面も披露するなど活躍の幅を広げてますよね。

 

3位:大野豊

通算成績: 148勝100敗 138セーブ 防御率:2.90 奪三振:1733

私の世代的にこの男を外すわけにはいきません。様々な変化球を駆使し、『七色の変化球』と形容されたカープ史上屈指の左腕。抑えとしても活躍し、100勝100セーブを記録してます。

そして大野豊といえばその誠実な人柄。まず性格からして、温厚にして篤実。周囲に気を使いすぎるほどの人間性は、「唯我独尊」タイプがベストの投手としては明らかに失格です。しかし、マウンドでは、そんな負の要素に左右されることなく、幾度も修羅場を切り抜けました。

引退試合の最後のセレモニーにて残した

 

我が選んだ道に悔いは無し

 

という言葉。

わたくしみーもそのような人生を送りたいと思った次第です。

 

2位:黒田博樹

通算成績: 203勝184敗 防御率:3.51 奪三振:2447

そして、この方、ヤンキースのエース格とまでなった豪速球投手、黒田博樹。その愚直なまでに仕事を遂行する姿勢には、球団問わず多くのプロ野球ファンを熱くさせました。私個人的には「絶対に試合を壊さない」投手として、凄く安心感があったのを覚えております。

そして、なんといっても「男気」と形容された人間性は、流行語にもなりましたよね。恐らく皆さんは、メジャーリーグの21億円を蹴って広島に復帰したシーンをハイライトと推す方も多いと思うんですが、わたくしは違います。

実は、黒田選手、ヤンキース在籍時に発生した大規模土砂災害の現場に、お忍びで慰問していたんです。「自分が行くことで一瞬でも気が紛れれば・・」と現地の被災者を励ましたんだとか。

そんな広島愛を貫き通した黒田は、わたくしの中でずっとスターであり続けます!

 

1位:津田恒美

通算成績:49勝41敗 90セーブ 防御率:3.31 奪三振:542 

わたくしみーの中で、ずっと記憶に残る漢といえば、津田恒美。今も語り継がれる『炎のストッパー』

いつもバネの利いた躍り上がるようなフォームで剛速球を披露し、あの阪神タイガースの伝説の助っ人ランディ・バース曰く「津田のストレートはクレイジーだぜ」と言わしめました。

また、ライバルでもあった当時の巨人の4番だった原辰徳との名勝負はファンを熱くさせました。私のハイライトは津田のストレートでファウルを打った原が、手首を骨折したシーン。

このときのことを原は「あの時、原辰徳が終わった」と発言しました。

その後、91年の春季キャンプ中に頭痛を訴えて、同年開幕直後の4月16日、風邪による体調不良を理由に登録を抹消。

必死のリハビリを続けるも、1993年7月に帰らぬ人となりました。

最後までマウンドに立つことを諦めなかったが願いはかなわず、帰らぬ人となった津田。その名言、

 

弱気は最大の敵

 

これを人生バイブルにさせてもらっております。

 

まとめ

如何でしたでしょうか。

いずれも伝説的なストーリーを持っている選手ばかり。わたくしも、記事を書きながら涙腺が思わず緩んでしまったほどです。

そんな訳で、鯉のぼりのシーズン前ということもあり広島カープのお話をさせてもらったんですが、本業である治験募集のエリアとして広島まで拡大しております。

募集情報も数多く掲載しておりますの、ご興味のある方は是非ご覧下さい。

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