【こどもの日は鯉の季節】みーが泣いた移籍で去った広島カープの選手たち

【こどもの日は鯉の季節】みーが泣いた移籍で去った広島カープの選手たち

こどもの日

こんにちは!
秘書猫みーでございます。

GWも終盤に差し掛かり、ちょっとずつ休み明けの現実が見え隠れしつつ”ソワソワ感”が出始める今日この頃。

本日は「こどもの日」ということで、世のお父さんたちは家庭での家族サービスで奮闘されていることと思います。

そんな中、アメリカメジャーリーグ・シアトルマリナーズのイチロー選手が第一線を退くかもしれないという衝撃的なニュースが駆け巡りました。

引退ではなく、選手としての契約もしっかりと含まれている非常に稀な契約体系とのこと。イチロー選手のプレーする姿が見れなくなると心配しましたが、選手としても来季から出場が可能なんだとか。

そのニュースを聞いたとき、ふと、フラッシュバックのように記憶の底から蘇ったのが、カープ選手のFA・トレードでの流出・・。

今回は少しナンセンスかもしれないんですが、わたくしみーが涙で枕を濡らした、移籍で去った広島カープの選手たち5選をお届けしたいと思います。

 

FA・トレードで去った広島カープの選手たち5選

はじめにひとつだけ。今回の5選にはあのレジェンド「黒田博樹」は含んでおりません。確かに悲しい出来事でしたが、最後はカープで優勝で引退ということで、歓喜の涙に変わりましたので(笑)

ではさっそく行ってみましょう!

5位.木村拓也

日本ハムファイターズ→広島東洋カープ→読売ジャイアンツ

稀代のユーティリティープレイヤーとして、投手以外全てのポジションを守れる上にスイッチヒッターという、言い換えれば采配を取る監督にとっては自在に使える代表的な選手。

そんなキムタクがトレードで巨人に行ってしまったとき、広島フロント陣に対して一言物も押したい気持ちにかられました。

巨人時代にはあの原辰徳監督から非常に重宝されて、リーグ三連覇に貢献した姿は広島時代よりも輝いているように思えました。

そんなキムタクが、巨人時代の2010年4月2日、広島カープとのプレイボール前のシートノック中に斃れてしまったのは衝撃的なニュースでした。そして、5日後に搬送先の病院で静かに息を引き取りました・・。

これは何かのご縁なんでしょうか、病に斃れたのがマツダスタジアムという事実。「キムタクは最後に広島に戻ってきたんだ」と勝手に解釈しております。

あの笑ったときの子供のような無邪気な笑顔、決して忘れません。

 

4位.高橋建

広島東洋カープ→ニューヨークメッツ→広島東洋カープ

「建さん」という愛称で長く親しまれた同投手。非常に温厚な性格ながらも150km近いストレートを打者のインコースに投げ切る姿にギャップあったのを覚えてます。

そんな建さんが2008年のオフにメジャーリーグ挑戦ということで、ニューヨークメッツとマイナー契約し、広島から去っていきました。

しかし、建さんに関してはむしろ「頑張って欲しい」という想いも。

正直年齢的にも高齢だったので、広島で花道を飾って欲しいという気持ちがあったんですが、なんと40歳を超えてメジャーデビューを果たす離れ業を成し遂げました!

そして最終的には、広島に帰ってきて、家族が見守る中で建さんらしく静かに引退していきました。

 

3位.江藤智

広島東洋カープ→読売ジャイアンツ→西武ライオンズ

ファンからは「微笑みのバズーカ」と言われた、広島カープ屈指の強打者だった江藤。いわゆる巨人が広島を11.5ゲーム差からひっくり返して優勝した「メークミラクル」の時の4番打者です。

そんな順調にキャリアを積む中、1996年、試合数をかなり残した中で30本以上のホームランを記録しキャリアハイの成績も可能と言われた時期に行われた巨人戦。仁志敏久の強烈な打球が江藤の顔面に直撃して眼窩底を骨折し離脱。

そこから徐々に成績が低下し、生え抜きの鉄人・金本知憲に4番を譲るあたりから、FAの噂がどことなく聞こえてきました。

そして2000年、巨人の長嶋監督から「俺の33番を江藤君に譲る」ということで、広島を去っていきました。

その当時「江藤よ、おまえもか・・」とネガティブに思ったこともありましたが、そのあたりから金本選手がしっかりと成長し、わたくしみーの悲しみを吹っ飛ばしてくれました。

 

2位.川口和久

広島東洋カープ→読売ジャイアンツ

広島カープから最初にFAを使って、巨人に行ってしまった川口。FAを検討するキッカケだったのが奥様のお父様が癌を発症し、その看病に集中したいという要望があったと言われてます。

当初本人は大野豊など様々な恩人が広島にいることもあり、残留を強く希望していたらしんですが、最後は野球人というより、ひとりの人間として移籍を決断しました。

あの強かった広島時代の象徴する川口が抜けほどなくの1999年に大野豊が引退。ここから広島カープの暗く長い暗黒時代が幕を開けたような気がしました。

 

1位.金本知憲

広島東洋カープ→阪神タイガース

何といっても、わたくしが一番辛かったのが金本の阪神への移籍です。

絶頂を極め、走攻守すべて揃った打者として、トリプルスリーを達成。そんな金本が、当時の名将・星野監督に口説かれて移籍を決めたと知った時、しばらくキャットフードを食べる手が止まってしまったのを覚えております。

なんといっても金本は腕が折れても片手一本でヒットを打ってしまう凄まじいほどの精神力の持ち主。

何度かyoutubeで見たんですが、ケビン山崎ジムでスクワットする姿はまさに鬼の如く。

そして、最福寺で毎年オフに敢行される「護摩行」を行った際の鬼気迫る表情は、現代の選手にはない風景でした。

また、連続フルイニング出場の世界記録保持者であり、且つ、地味な記録なんですが「連続無併殺記録」の日本記録保持者でもあります。

その絶対に休まない姿勢と、全力で野球に取り組む姿は、野球ファンのみならず一般のビジネスマンにも尊敬を集めました!

 

まとめ

如何でしたでしょうか。

広島で育った選手が、他球団で活躍す姿を見てる時には不思議と応援してしまう感情にかられてしまうのは私だけでしょうか?

ここ最近のカープは「育成のカープ」という言葉ぴったりに、様々な若手が成長し今やリーグ三連覇も夢ではないチームとなりました。

それもこれも、過去の偉大な先輩の功績、または去っていった選手が後輩選手に受け継いだ広島の伝統が花開いた瞬間なんでは無いでしょうか?

あの往年のカープ時代の名将・古葉監督がある選手に言った明言があります

 

「ここまでやってこれたのはお前一人の力じゃない」

 

常に誰かに支えられている意識をもって感謝するしろという意味が含まれていると勝手に解釈しております。移籍した選手もこのような意識があるからこそ、引退した後もカープ愛があるんではないでしょうか。

そして私たちも新薬が世に出るのは、協力してくれる皆様に支えられているという事をしっかりと胸に刻み込んで、日々の業務に取り組んでいく所存です。

 

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